日々の修行ブログ

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【いじられキャラ】

今日は2週間に1度ある、僕が所属しているフットサルサークルの練習があった。


どうやら、次に大学の体育館てある練習は、1/17で最後らしい。


無事卒業すれば、それが最後か。

時が経つのは早いなーと若干寂しさを感じるのであった。


このまま哀愁に漂った内容を書くのもいいけど、タイトルと全くそぐわないので、そろそろ軌道修正しよう。


『どんだけいじんねん!』


僕は思わずそう叫びたくなった。


最近になって、後輩どもの先輩(僕)いじりが非常に激しくなっている。


フットサル中に絡みついてきたり、ため口言うてきてたり、


僕がゴールを外したら、

『先輩ゴールはあっちですよ!』

ってことあるごとに言ってきたり。


とにかく先輩としての扱いではないのだ。


先輩ではなく、友達というのが正しいだろうか。


まったく、、、


(ムフフ、、、)


いじられることに批判的に見えて、

実はまんざらでもない僕。


ある意味後輩たちとは理想の関係性に近いものを築けている。


先輩後輩の上下関係といえば、先輩には必ず挨拶し、敬語を使い、気を使和なければいけないというのが、王道であろう。


僕はこの王道は素晴らしいとは思う。


しかし、僕自身が先輩に対して、気を使い過ぎてしまったりする節があるため、


せめて、後輩には自分にあまり気を使わないでほしいという気持ちが大きいのだ。


そして、何より僕自身もいじられる事が嫌いではないというのが大きいだろうか。


僕は昔からいじられキャラになる節があり、中学校の時もサッカー部でキャプテンを務めたが、同期、後輩からいじられていた。


正直、キャプテンの威厳はゼロだった。

けれど、人間関係は良好に築けた。


いじられるというのは、ある種のスキンシップだと僕は思う。


いじれるほど話しかけやすかったり、僕に関心を持ってくれていると思えば、むしろ、いじりウェルカム。


これはある種の僕の人間関係構築法の一つといっても過言ではないだろう。


人も良好な人間関係を気づくのに、いじられキャラ本当にいい立ち位置だと思う。


なぜなら、自分が何もしなくても勝手に自分の周りに輪が広がり、気づけば自分が輪の中心にいたりするのだ。


ただし、だからと言っていじりすぎはさすがに僕もイラっとくることもある。


実際に世の中でいじめとされるものは、いじりの延長線上にあるものだと思う。


僕自身、いじられキャラではあったが、いじめられたことは一度もない。


それは、僕の中で一定の境界線というものを持ち、それを超えるようなものなら、そこで釘をさすようにしているからである。


いじられることは別に気にならないが、僕の琴線に触れる場合は僕の中にある無くせないプライドを守るために僕は態度を変える。


それは、僕自身の自尊心を守り高める行為でもある。


あくまで、いじられキャラは良好な人間関係を築き、自分の自尊心を高める一つの手段であり、それが自分の自尊心を下げる場合は、対応も変わってくるのは当然なのである。


少々話が脱線したが、僕はこのいじられキャラというものを自分の強みとして、これからもいじられていこうと思う。


いじられキャラ万歳!!!